鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎・索我・宮の石橋
2011.5.11
西山拙斎、田中索我、宮の石橋は、昔から里謡として歌い継がれている鴨方三奇です。
まず、西山拙斎は江戸中期の儒学者で、京都での遊学ののち、郷里の鴨方で、私塾欽塾を開き子弟の教育に専念しました。
田中索我は江戸中期の画家。京都で画法を学び、郷土に帰ってからも多くの作品を残しています。
宮の石橋は、鴨神社の随神門下にある6枚の長い石を反らせて整えた太鼓状の石橋です。
その下は川でなく道!つまり、江戸時代から立体交差だったのです。
宮の石橋や拙斎、索我の墓はお互いすぐ近くにあり、かもがた町家公園の北門から行き来できます。
かもがた町家公園にはカキツバタの花や牡丹の花が咲いています。
遊歩道をのぼると北門から宮の石橋に出ます。
石橋の上を通ると鴨神社への参道です。
石橋の下の小道をくぐらずに右に行くと、田中索我の墓碑があります。
索我の墓碑に手を合わせ、引き返して石橋の上を通り、鴨神社の境内に入ると、そこから左の小道を少し、下ったところに、西山拙斎の墓碑と有名な三絶の碑があります。
ちなみに境内から左の山道に入ると鴨山城跡に行くことができますが、こちらはまたの機会にして、とりあえず、拙斎の墓碑のほうへ・・・・
拙斎先生の前で合掌。
小道をそのまま下って、長川寺(ちょうせんじ)の前から、竜宮門を通り、鴨方往来を歩いていると、西山拙斎の居宅至楽居跡、欽塾跡がありますが、残念ながら、今は駐車場のようです。
そうしてまた町家公園に帰ってきました。5月に入ってお天気も良かったので、さわやかな風が吹いているとはいえ、少し歩いただけで、汗ばみました。
一周約1Kmの文化の道コースのご紹介でした。